ペトラルカのミラノ滞在
ラテン語で言うとペトラルカ、本名フランチェスコ・ペトラッコは1304年アレッツォで生まれた。

ペトラルカは自分を「さすらい人」と呼び、彼の人生は旅から旅への
連続であったと言っても過言ではないだろう。
次から次へと居住地を変えたペトラルカが、一ヶ所にずっと居を構えて
住んだのはアヴィニヨン(1326年-1337年)と、なんとミラノであった。
彼のミラノ滞在は1353年から1361年の8年間にも及び、
他の居住地と違って、ミラノが彼にとってもかなり重要な場所であった事が
うかがえる。
1353年6月ペトラルカはミラノ大司教ジョヴァンニ・ヴィスコンティの
懇望を受け、ミラノ入りする。

(聖アンブロージョ教会)
聖アンブロージョ教会のほど近く、ランツォーネ通りに
ヴィスコンティ家から住居を与えられ、そこに住んでいたらしい。
そこから数メートル行くと、小さな、本当に小さな見逃してしまいそうな教会がある。

ペトラルカがミラノ滞在中、かなり気に入って通っていた
サンタンゴスティーノ教会である。
この教会はミラノの聖人アンブロージョが西暦387年にアウグスティヌス(アゴスティーノ)の洗礼式を行った事で有名だが、
そういう歴史もあって、ペトラルカはこの小さな教会を殊さら
愛していたらしい。
住んでいた家からも近いので、おそらく毎日のように通ったのでは
ないだろうか。


そしてミラノ滞在中、夏に訪れたのでは?と言われているリンテルノ農園。
現在のミラノ市の西部、デッレ・カーヴェ公園の一角に位置している。
リンテルノとは、中世における修道院付属の荘園という意味で
都市周辺部に点在し、このペトラルカも訪れたミラノのリンテルノ農園は
12世紀頃に出来たものと言われている。


ペトラルカが滞在していた頃はInfernumと呼ばれていたようで、
これはおそらくロンゴバルド語に由来するものだろうと思われるが、
「はるか遠い土地」「奥深い場所」を意味した。
人ごみを嫌ったペトラルカは、ここで孤独生活を
探求しつつ過ごしたのかもしれない。
ペトラルカのミラノ滞在に関して、彼を敬愛していたボッカッチョが
「フィレンツェの宿敵であるミラノの君主と手を組み、
事もあろう事か、そこへ滞在するなんて!」とかなり批判したようだが、
ミラノ専制君主のもとでの「自由」と「孤独」を
ペトラルカは楽しみ、自己の文学活動に専念したのではないだろうか。
そうでなければ「さすらい人」が8年もの長き間、一ヶ所に定住するワケがない。
このリンテルノ農園は、中世の面影をほぼそのまま残し、
当時の農園の様子を今に伝える事でも、そしてペトラルカが滞在し、
彼が見たであろう景色とほぼ同じ景色を
現在でも堪能できる事でも注目を集めていて、なかなか興味深い。
by Maki

ペトラルカは自分を「さすらい人」と呼び、彼の人生は旅から旅への
連続であったと言っても過言ではないだろう。
次から次へと居住地を変えたペトラルカが、一ヶ所にずっと居を構えて
住んだのはアヴィニヨン(1326年-1337年)と、なんとミラノであった。
彼のミラノ滞在は1353年から1361年の8年間にも及び、
他の居住地と違って、ミラノが彼にとってもかなり重要な場所であった事が
うかがえる。
1353年6月ペトラルカはミラノ大司教ジョヴァンニ・ヴィスコンティの
懇望を受け、ミラノ入りする。

(聖アンブロージョ教会)
聖アンブロージョ教会のほど近く、ランツォーネ通りに
ヴィスコンティ家から住居を与えられ、そこに住んでいたらしい。
そこから数メートル行くと、小さな、本当に小さな見逃してしまいそうな教会がある。

ペトラルカがミラノ滞在中、かなり気に入って通っていた
サンタンゴスティーノ教会である。
この教会はミラノの聖人アンブロージョが西暦387年にアウグスティヌス(アゴスティーノ)の洗礼式を行った事で有名だが、
そういう歴史もあって、ペトラルカはこの小さな教会を殊さら
愛していたらしい。
住んでいた家からも近いので、おそらく毎日のように通ったのでは
ないだろうか。


そしてミラノ滞在中、夏に訪れたのでは?と言われているリンテルノ農園。
現在のミラノ市の西部、デッレ・カーヴェ公園の一角に位置している。
リンテルノとは、中世における修道院付属の荘園という意味で
都市周辺部に点在し、このペトラルカも訪れたミラノのリンテルノ農園は
12世紀頃に出来たものと言われている。


ペトラルカが滞在していた頃はInfernumと呼ばれていたようで、
これはおそらくロンゴバルド語に由来するものだろうと思われるが、
「はるか遠い土地」「奥深い場所」を意味した。
人ごみを嫌ったペトラルカは、ここで孤独生活を
探求しつつ過ごしたのかもしれない。
ペトラルカのミラノ滞在に関して、彼を敬愛していたボッカッチョが
「フィレンツェの宿敵であるミラノの君主と手を組み、
事もあろう事か、そこへ滞在するなんて!」とかなり批判したようだが、
ミラノ専制君主のもとでの「自由」と「孤独」を
ペトラルカは楽しみ、自己の文学活動に専念したのではないだろうか。
そうでなければ「さすらい人」が8年もの長き間、一ヶ所に定住するワケがない。
このリンテルノ農園は、中世の面影をほぼそのまま残し、
当時の農園の様子を今に伝える事でも、そしてペトラルカが滞在し、
彼が見たであろう景色とほぼ同じ景色を
現在でも堪能できる事でも注目を集めていて、なかなか興味深い。
by Maki
by yuma-milano | 2011-12-29 03:14 | ミラノ - 縁の顔 - | Trackback | Comments(0)
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